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アニメンタリー決断大事典

機動部隊

日本海軍が第1航空艦隊を主力として編成した軍隊区分による部隊。
指揮官は第1航空艦隊司令長官南雲忠一中将。
機動部隊は開戦初頭のハワイ作戦から1942年4月のインド洋作戦まで編成されていた。

ハワイ作戦

ハワイ作戦を目的に編成された機動部隊の任務は、米海軍の根拠地ハワイ真珠湾を奇襲し、主目的を停泊中の戦艦と空母の撃沈、副目的を航空基地と敵飛行機の破壊であった。

ハワイ作戦を成功させるには空母に随伴可能な速力と長大な航続力を有した優秀な艦船が必要不可欠であったため、機動部隊の編成には各艦隊から艦船を引き抜いた。
第1艦隊の第3戦隊からは火力と速力に優れた比叡と霧島が、第2艦隊からは航空偵察力に優れた第8戦隊の重巡利根と筑摩が、直衛として第1艦隊の第1水雷戦隊からは旗艦の軽巡阿武隈と陽炎型駆逐艦で編成された第17駆逐隊および第2艦隊の第2水雷戦隊からは第18駆逐隊が選ばれた。
その他、ハワイ方面の哨戒に第6艦隊の第1潜水戦隊から小型偵察機を搭載した第2潜水隊と、ミッドウェー島を砲撃して機動部隊のハワイ攻撃後の安全な帰投を確保するための援護作戦として第1航空戦隊の第7駆逐隊の潮と漣が参加することになった。

機動部隊の各艦は1941年11月22日までに択捉島単冠湾に集結。11月26日、ハワイに向けて単冠湾を出撃。12月8日、ハワイを攻撃した。
12月16日、帰投中の機動部隊は、ウェーク島攻略支援のため第2航空戦隊と第8戦隊および第17駆逐隊の駆逐艦谷風と浦風を分派し、残りは12月23日に内地に帰投した。 一方、分派隊は12月21日~23日までウェーク島の攻略に参加、12月29日に内地に帰投した。

ハワイ作戦時の編成
区分指揮官兵力
空襲部隊第1航空艦隊司令長官
南雲忠一中将
第1航空戦隊(南雲中将直率)空母赤城、加賀
第2航空戦隊(山口多聞少将指揮)空母飛龍、蒼龍
第5航空戦隊(原忠一少将指揮)空母翔鶴、瑞鶴
支援部隊第3戦隊司令官
三川軍一中将
第3戦隊第1小隊(三川中将直率)戦艦比叡、霧島
第8戦隊(阿部弘毅少将指揮)重巡利根、筑摩
警戒隊第1水雷戦隊司令官
大森仙太郎少将
第1水雷戦隊(大森少将直率)軽巡阿武隈、駆逐艦秋雲
第17駆逐隊 駆逐艦谷風、浦風、浜風、磯風
第18駆逐隊 駆逐艦不知火、霞、霰、陽炎
哨戒隊第2潜水隊司令
今泉喜次郎大佐
第2潜水隊(今泉大佐直率)潜水艦伊19、伊21、伊23
ミッドウェー
破壊隊
第7駆逐隊司令
小西要中佐
駆逐艦潮、漣、給油艦尻矢
補給隊極東丸特務艦長
大藤正直大佐
第1補給隊(大藤大佐直率)給油艦極東丸、健洋丸、国洋丸、神国丸
第2補給隊(新美和貴大佐指揮)給油艦東邦丸、東栄丸、日本丸

ラバウル攻略支援

ハワイ作戦を終えた機動部隊には、ラバウル方面の攻略支援の新任務が与えられた。
1942年1月7日~10日に第1航空戦隊と第5航空戦隊を主力とする部隊が内地を出撃、1月20日にラバウルを攻撃後、第1航空戦隊は21日にカビエン、22日に再度ラバウルを攻撃、第5航空戦隊は21日にラエ、サラモアの各地を攻撃した。
一方、第2航空戦隊を主力とする部隊は1月7日に南方部隊に編入されて1月12日に内地を出撃、1月23日と24日にアンボンを攻撃した。

作戦終了後、第2航空戦隊は1月28日に、第1航空戦隊は2月8日にパラオにそれぞれ到着、第2航空戦隊は機動部隊に復帰した。一方、第5航空戦隊は連合艦隊直属航空部隊に編入され、米機動部隊の本土空襲に備えるため内地に帰投した。

2月15日、第3戦隊第1小隊を除く機動部隊の各艦はパラオを出撃、2月19日にポートダーウィンを攻撃し、2月21日にセレベス島のスターリング湾に到着した。
この間、南方部隊に配属されていた第3戦隊第2小隊の戦艦金剛と榛名が2月16日に機動部隊に編入となり、2月18日にはパラオで第3戦隊第1小隊と合流。開戦後、初めて金剛型戦艦4隻が勢揃いする。同日、パラオを発した第3戦隊は2月21日にスターリング湾に到着して機動部隊と合流する。

ラバウル攻略支援時の編成
区分指揮官兵力
第1空襲部隊第1航空艦隊司令長官
南雲忠一中将
第1航空戦隊(南雲中将直率)空母赤城、加賀
第5航空戦隊(原忠一少将指揮)空母翔鶴、瑞鶴
支援部隊第3戦隊司令官
三川軍一中将
第3戦隊第1小隊(三川中将直率)戦艦比叡、霧島
第8戦隊(阿部弘毅少将指揮)重巡利根、筑摩
警戒隊第1水雷戦隊司令官
大森仙太郎少将
第1水雷戦隊(大森少将直率)軽巡阿武隈、駆逐艦秋雲
第17駆逐隊 駆逐艦谷風、浦風、浜風、磯風
第18駆逐隊 駆逐艦不知火、霞、霰、陽炎
※第2空襲部隊は第2航空戦隊(空母飛龍、蒼龍)と第7駆逐隊(駆逐艦曙、潮、漣)で編成

ジャワ海掃討戦

2月25日にジャワ海掃討のためスターリング湾を出撃、敵艦船の攻撃、ジャワ島のチラチャップ攻撃、クリスマス島を砲撃するなどし、3月11日にスターリング湾に帰投した。
一方、第5航空戦隊は3月17日に内地を発し、3月24日にスターリング湾に到着、機動部隊と合流した。

ジャワ海掃討戦時の編成
区分指揮官兵力
空襲部隊第1航空艦隊司令長官
南雲忠一中将
第1航空戦隊(南雲中将直率)空母赤城、加賀
第2航空戦隊(山口多聞少将指揮)空母飛龍、蒼龍
支援部隊第3戦隊司令官
三川軍一中将
第3戦隊(三川中将直率)戦艦比叡、霧島、金剛、榛名
第8戦隊(阿部弘毅少将指揮)重巡利根、筑摩
警戒隊第1水雷戦隊司令官
大森仙太郎少将
第1水雷戦隊(大森少将直率)軽巡阿武隈、秋雲
第4駆逐隊 駆逐艦野分、舞風
第15駆逐隊 駆逐艦黒潮、親潮
第17駆逐隊 駆逐艦谷風、浦風、浜風、磯風
第18駆逐隊 駆逐艦不知火、霞

インド洋作戦

3月26日にインド洋作戦のためスターリング湾を出撃する。この時、加賀は2月9日にパラオで起こした艦底触礁事故の修理のため内地に帰投したため、第1航空戦隊は赤城のみの参加となった。
4月5日、セイロン島のコロンボを攻撃して英駆逐艦と仮装巡洋艦を撃沈、同日には英重巡洋艦2隻を撃沈、9日には同島のトリンコマリーを攻撃、同日には英空母ハーミーズを撃沈した。

作戦後、第5航空戦隊は4月18日に台湾の馬公に入港、翌日同地を発し、MO作戦参加のためトラック島に向かう。その他は4月23日までに内地に帰投した。
機動部隊は第1機動部隊に編成を改め、次のミッドウェー作戦に備えた。

インド洋作戦時の編成
区分指揮官兵力
空襲部隊第1航空艦隊司令長官
南雲忠一中将
第1航空戦隊(南雲中将直率)空母赤城
第2航空戦隊(山口多聞少将指揮)空母飛龍、蒼龍
第5航空戦隊(原忠一少将指揮)空母翔鶴、瑞鶴
支援部隊第3戦隊司令官
三川軍一中将
第3戦隊(三川中将直率)戦艦比叡、霧島、金剛、榛名
第8戦隊(阿部弘毅少将指揮)重巡利根、筑摩
警戒隊第1水雷戦隊司令官
大森仙太郎少将
第1水雷戦隊(大森少将直率)軽巡阿武隈
第17駆逐隊 駆逐艦谷風、浦風、浜風、磯風
第18駆逐隊 駆逐艦不知火、霞、霰、陽炎
補給隊
補給艦5隻
第4駆逐隊 駆逐艦野分、舞風
駆逐艦秋雲

関連用語: 第1艦隊第2艦隊第1航空艦隊第1航空戦隊第2航空戦隊第5航空戦隊第8戦隊第1水雷戦隊赤城加賀飛龍蒼龍翔鶴瑞鶴利根阿武隈

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