君は「アニメンタリー決断」を知っているか

アニメンタリー決断大事典

翔鶴

日本海軍翔鶴型航空母艦のネームシップ。
翔鶴は開戦時から日本海軍の主力空母として活躍した。

機銃は逐次増加され、南太平洋海戦時は25mm3連装機銃18基54門、マリアナ沖海戦時は25mm3連装機銃20基と同単装10基、計70門が装備された。

なお、翔鶴は幾度となく損傷を受け、僚艦の瑞鶴が「幸運艦」と呼ばれたのに対し、翔鶴は「被害担当艦」と呼ばれていた。翔鶴を示すために飛行甲板上に描かれた航空識別標識「シ」が死に結びつき縁起が良くなかったのか?

要目
新造時排水量25,675t
全長257.5m
全幅26m
出力160,000馬力
速力34.2ノット
航続力18ノットで9,700海里
兵装40口径八九式12.7cm連装高角砲8基
九六式25mm3連装機銃12基
搭載機常用72機+補用18機
飛行甲板長さ242.2m×幅29m
最終時兵装40口径八九式12.7cm連装高角砲8基
九六式25mm3連装機銃20基
九六式25mm単装機銃10基
電探二一号2基、一三号1基

兵装変遷
種別名称41年
8月
42年
6月
43年
2月
44年
5月
高角砲12.7cm連装(盾付き)2222
12.7cm連装6666
機銃25mm3連装(盾付き)2222
25mm3連装10161818
25mm単装10

搭載機定数(常用機)
1941年12月~艦戦×18、艦爆×27、艦攻×27
1942年1月~艦戦×21、艦爆×21、艦攻×21
1942年8月~艦戦×27、艦爆×27、艦攻×18
1942年12月~艦戦×27、艦爆×18、艦攻×27
1943年7月~艦戦×27、艦爆×18、艦攻×27、艦偵×3
1943年12月~空地分離を実施

艦歴
1937年12月12日横須賀工廠で起工
1939年6月1日進水
1941年8月8日竣工
1941年9月1日第1航空艦隊第5航空戦隊に編入、第5航空戦隊旗艦
1941年12月8日機動部隊に所属してハワイ作戦に参加
1942年1月20日~22日機動部隊に所属してラバウル・カビエン攻略支援に参加
1942年4月機動部隊に所属してインド洋作戦に参加
1942年5月7日~8日MO機動部隊に所属して珊瑚海海戦に参加、米艦上機の爆撃を受けて損傷
1942年6月損傷修理を兼ねて25mm3連装機銃6基の増備と空母として初めて二一号電探1基を装備
1942年7月14日第3艦隊第1航空戦隊に編入、第3艦隊旗艦
1942年8月24日~25日第二次ソロモン海戦に参加
1942年10月26日~27日南太平洋海戦に参加、米艦上機の爆撃を受けて損傷
1942年11月~1943年2月損傷修理を兼ねて25mm3連装機銃2基と二一号電探1基を増備
1943年11月ろ号作戦で艦上機をラバウルに派遣
1944年6月19日マリアナ沖海戦に参加、米潜水艦カバラの雷撃を受けて沈没、乗員887名と第601航空隊の376名が戦死
1945年8月31日除籍

歴代艦長
1941年8月8日~城島高次大佐
1942年5月25日~有馬正文大佐
1943年2月16日~岡田為次大佐
1943年11月17日~松原博大佐

完成した翔鶴

完成した翔鶴(1941年8月23日)

横須賀軍港で撮影。8月8日に竣工して以来、横須賀鎮守府特別役務艦として整備を終え、有明海に向けて処女航海に就く直前の翔鶴。

至近弾を受ける翔鶴

至近弾を受ける翔鶴(1942年5月8日)

珊瑚海海戦時の翔鶴。米艦上機の急降下爆撃により艦首付近に至近弾を受けた瞬間。

爆弾が命中した翔鶴

爆弾が命中した翔鶴(1942年5月8日)

珊瑚海海戦時の翔鶴。艦首付近に爆弾が命中し、火災と黒煙を吹き上げている。


関連用語: 第3艦隊第1航空艦隊第1航空戦隊第5航空戦隊機動部隊MO機動部隊翔鶴型航空母艦瑞鶴