瑞鶴
日本海軍翔鶴型航空母艦の2番艦。民間造船所が建造した最初の空母。
瑞鶴は開戦時から日本海軍の主力空母として活躍した。
エンガノ岬沖海戦時の瑞鶴は、マリアナ沖海戦の戦訓に基づいた不沈化対策が効を奏し、沈没するまでに魚雷7本と爆弾4発を受け、その強靭な耐久性を発揮した。
機銃は逐次増加され、南太平洋海戦時は25mm3連装機銃18基54門、マリアナ沖海戦時は25mm3連装機銃20基と同単装10基、計70門が装備された。
エンガノ岬沖海戦時は25mm3連装機銃20基と同単装36基、計96門を装備し、さらに12cm28連装噴進砲が左舷後部と右舷前部に各4基装備された。この兵器は重量24kgのロケット弾を発射するもので、ロケット弾には焼夷弾子4.5kgが入っていた。最大射程は4,500mらしいが、実際には1,000m~1,500mで使用されたらしい。10秒間で28発全弾を発射し、敵機の前面に焼夷弾の弾幕を張る仕組みであるが、次発装填には2分~4分程度を要すため、会敵時は1回しか発射できなかった。
また、同海戦時の瑞鶴には対潜・対空迷彩が施されていた。対潜迷彩は敵潜の測距を誤らせようと意図したもので、舷側を外舷21号色(外舷2号色(濃緑色)と白を1:1の比率で混合した色)と外舷22号色(外舷2号色と白を1:5の比率で混合した色)で商船に似せた塗装をした。
対空迷彩は、飛行甲板上に商船に似せたものを描いて敵機に艦種を誤認させるとともに、その船影を首尾線よりずらして描いて、爆撃照準を狂わせようと意図したもので、外舷2号色、外舷21号色、茶緑などを使用して塗装した。
なお、瑞鶴はマリアナ沖海戦で被弾するまで、一度も損傷を受けなかったことから「幸運艦」と呼ばれていた。
要目新造時 | 排水量 | 25,675t |
全長 | 257.5m | |
全幅 | 26m | |
出力 | 160,000馬力 | |
速力 | 34.2ノット | |
航続力 | 18ノットで9,700海里 | |
兵装 | 40口径八九式12.7cm連装高角砲8基 九六式25mm3連装機銃12基 | |
搭載機 | 常用72機+補用18機 | |
飛行甲板 | 長さ242.2m×幅29m | |
最終時 | 兵装 | 40口径八九式12.7cm連装高角砲8基 九六式25mm3連装機銃20基 九六式25mm単装機銃36基 12cm28連装噴進砲8基 |
電探 | 二一号2基、一三号1基 |
兵装変遷
種別 | 名称 | 41年 9月 | 42年 8月 | 43年 6月 | 44年 5月 | 44年 7月 |
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高角砲 | 12.7cm連装(盾付き) | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 |
12.7cm連装 | 6 | 6 | 6 | 6 | 6 | |
機銃 | 25mm3連装(盾付き) | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 |
25mm3連装 | 10 | 16 | 18 | 18 | 18 | |
25mm単装 | 10 | 36 | ||||
噴進砲 | 12cm28連装 | 8 |
搭載機定数(常用機)
1941年12月~ | 艦戦×18、艦爆×27、艦攻×27 |
1942年1月~ | 艦戦×21、艦爆×21、艦攻×21 |
1942年8月~ | 艦戦×27、艦爆×27、艦攻×18 |
1942年12月~ | 艦戦×27、艦爆×18、艦攻×27 |
1943年7月~ | 艦戦×27、艦爆×18、艦攻×27、艦偵×3 |
1943年8月~ | 艦戦×27、艦爆×18、艦攻×23、艦偵×3 |
1943年12月~ | 空地分離を実施 |
艦歴
1938年5月25日 | 神戸川崎造船所で起工 |
1941年9月25日 | 竣工、第1航空艦隊第5航空戦隊に編入 |
1941年12月8日 | 機動部隊に所属してハワイ作戦に参加 |
1942年1月20日~22日 | 機動部隊に所属してラバウル・カビエン攻略支援に参加 |
1942年4月 | 機動部隊に所属してインド洋作戦に参加 |
1942年5月7日~8日 | 第5航空戦隊旗艦 MO機動部隊に所属して珊瑚海海戦に参加 |
1942年7月14日 | 第3艦隊第1航空戦隊に編入 |
1942年8月 | 25mm3連装機銃6基を増備、二一号電探1基を装備 |
1942年8月24日~25日 | 第二次ソロモン海戦に参加 |
1942年10月26日~27日 | 南太平洋海戦に参加 |
1943年4月 | い号作戦で艦上機をラバウルに派遣 |
1943年6月 | 25mm3連装機銃2基と二一号電探1基を増備、噴進砲8基を装備 |
1944年6月19日~20日 | マリアナ沖海戦に参加 米艦上機の爆撃を受けて損傷 第1機動艦隊兼第3艦隊旗艦の大鳳が沈没した後は旗艦となる |
1944年7月 | 損傷修理を兼ねて25mm単装機銃26基の増備と13号電探1基を装備 |
1944年8月10日 | 第3艦隊第3航空戦隊に編入 |
1944年10月 | 捷一号作戦に参加 |
944年10月25日 | エンガノ岬沖海戦において米艦上機の雷爆撃を受けて沈没 貝塚艦長以下843名戦死 |
1945年8月26日 | 除籍 |
歴代艦長
1941年9月25日~ | 横川市平大佐 |
1942年6月5日~ | 野元為輝大佐 |
1943年6月20日~ | 菊池朝三大佐 |
1943年12月18日~ | 貝塚武男大佐 |
関連用語: 第3艦隊| 第1航空艦隊| 第1航空戦隊| 第5航空戦隊| 機動部隊| MO機動部隊| 大鳳| 翔鶴| 翔鶴型航空母艦