大鳳
日本海軍航空母艦。大鳳は日本海軍初の装甲空母。
大鳳は敵側の攻撃圏内に進出して艦上機の行動距離を延長する企図をもって計画された。そのため敵機による攻撃の機会が多いと考えられ、被害を受けても容易に発着艦能力を失うことのないよう、飛行甲板に装甲を施した。
防御
飛行甲板の前部昇降機と後部昇降機の間の長さ150m、幅20mの範囲に500kg爆弾の急降下爆撃に耐えられるよう、20mmDS鋼鈑の上に75mmCNC甲鈑を重ねたものが張られた。
昇降機は飛行甲板と同等の防御を施すと昇降能力が低下してしまうので、25mmDS鋼鈑を2枚重ねたものが張られた。
高度3,000mからの水平爆撃に対しては、機関室と軽質油庫は800kg徹甲弾に、弾火薬庫と爆弾庫は1,000kg徹甲弾に耐えられる防御を、距離12,000m~20,000mの砲弾に対しては、機関室と軽質油庫は15cm砲弾に、弾火薬庫と爆弾庫は20cm徹甲弾に耐えられる防御が施された。
水中防御は、艦の主要部は炸薬量300kgの魚雷に耐え、弾火薬庫と軽質油庫の艦底部は3重底とする防御が施された。
ハリケーン・バウ
飛行甲板の装甲化による重心点の上昇を防ぐため、他の空母より甲板数を一段少なくした。このため乾舷の高さが低くなり、艦首の凌波性を考慮して艦首外板を飛行甲板まで延長するハリケーン・バウ(エンクローズド・バウ)とした。
艦橋構造物
艦橋は直立煙突と一体化した島型艦橋で、右舷中央部よりやや前方に設けた。煙突の高さは飛行甲板から17m、右舷側には26度傾斜させて、排煙が飛行甲板にかからないようにした。この煙突は大鳳の乾舷が低いため、従来の下向き湾曲煙突では、被害傾斜時や荒天時に海水が浸入するおそれがあったために採用された装備方法であった。
この煙突を採用するにあたり、夜間の発着艦時に障害となり、排煙が着艦の妨げになるなどの反対意見があったが、復原性能を優先することで採用が決定し、まず建造中の飛鷹型に試験的に採用した後、大鳳にも採用された。
対空兵装
高角砲は新型の長10cm連装高角砲6基を装備した。この高角砲は65口径九八式10cm高角砲と呼ばれ、秋月型駆逐艦の主砲に採用されていた。性能は最大射程14,000m、最大射高11,000m、初速1,000m/秒、発射速度15発/分であった。
機銃は当初、25mm3連装機銃8基の計画であったが、途中14基に増加し、完成時には戦訓により17基に増加された。
大鳳はマリアナ沖海戦で米潜の雷撃を受けて沈んだが、その時受けた魚雷は僅か1本であった。命中時の衝撃で軽質油庫に亀裂を生じ、揮発性のガスが艦内に充満、これに引火して大爆発を起こしたのが沈没の原因であった。
竣工から僅か3ヶ月、あまりにもあっけない最期だった。
新造時 | 排水量 | 29,300t |
全長 | 260.6m | |
全幅 | 27.7m | |
出力 | 160,000馬力 | |
速力 | 33.3ノット | |
航続力 | 18ノットで10,000海里 | |
兵装 | 65口径九八式10cm連装高角砲6基 九六式25mm3連装機銃17基 | |
電探 | 二一号2基、一三号1基 | |
搭載機 | 常用52機+補用1機 | |
飛行甲板 | 長さ257.5m×幅30m |
艦歴
1941年7月10日 | 神戸川崎造船所で起工 |
1943年4月7日 | 進水 |
1944年3月7日 | 竣工、第3艦隊第1航空戦隊に編入 |
1944年4月 | 第1機動艦隊兼第3艦隊旗艦 |
1944年6月19日 | マリアナ沖海戦に参加 米潜水艦アルバコアの雷撃を受けて沈没 乗員約660名戦死 |
1945年8月26日 | 除籍 |
歴代艦長
1944年3月7日~ | 菊池朝三大佐 |