君は「アニメンタリー決断」を知っているか

アニメンタリー決断大事典

蒼龍

日本海軍航空母艦。当初は航空巡洋艦として蒼龍と飛龍の2隻が計画されたが、友鶴事件の発生により中型空母に改められた。

ワシントン条約では、日本が保有できる空母の合計保有量は81,000tに制限されていた。これまで日本は鳳翔7,470t、赤城26,900t、加賀26,900t、龍驤7,100t(いずれも公称値)の4隻、合計68,370tを保有しており、残された保有量は12,630tだったが、ワシントン条約には「1921年11月12日以前に完成または建造中の航空母艦は、完成の日より20年を超過せずともこれを代換可能」という規定があり、この規定に該当する鳳翔を処分すれば実質的には20,100tが残された保有量だった。

この鳳翔を処分した保有量で、どのような空母を建造するか検討していたところ、米国が航空巡洋艦を建造するらしいという情報が流れた。日本海軍はこの米航空巡洋艦に対抗するため、1932年に基本計画番号「G-6」と称する航空巡洋艦の試案をまとめた。これは基準排水量12,000t、速力36ノット、航続力18ノットで10,000海里、20cm連装砲3基、12.7cm連装高角砲6基、搭載機70機というものであった。

1934年から始まる第2次補充計画で、軍令部は「G-6」の試案をもとに、実質的な保有量20,100tを使って空母2隻の建造を次のように要求した。

基準排水量10,050t
兵装20cm砲5門(連装、3連装各1基)
12.7cm高角砲20門
機銃40門以上
搭載機数100機(搭載機の半数は一度に発艦できるようにする)
速力36ノット
航続力18ノットで10,000海里
防御力重巡妙高型と同程度

しかし、この要求を10,050tに収めることは到底無理があり、主砲を15.5cm砲に改めても基準排水量が14,000t程度になることが分かった。
そこで主砲を15.5cm砲とし、高角砲と機銃の装備数、搭載機数、防御力を減じ、全般に要求仕様を引き下げて設計をまとめた。これが蒼龍原案と呼ばれた基本計画番号「G-8」で、その要目は次のようであった。

基準排水量10,050t
公試排水量18,000t
兵装15.5cm砲5門(連装、3連装各1基)
12.7cm連装高角砲8基
25mm連装機銃14基
搭載機数72機(艦戦24機、艦攻48機)
速力36ノット
航続力18ノットで10,000海里
防御力空母龍驤と同程度

飛行甲板右舷中央部に巨大な艦橋構造物と、その後方に直立煙突を設けた島型空母で、主砲は艦首部の飛行甲板の下、最上甲板に搭載、高角砲は全てを後部両舷に搭載した。
建造方針としては、新空母2隻のうち1隻目の蒼龍は1936年末までに完成、2隻目の飛龍は1937年末に完成とし、その時点で鳳翔を廃棄するという空母勢力の増強を図りながら、新旧空母の交替を円滑に行おうというものであった。

1934年初めには、呉工廠に蒼龍の建造訓令が発令され、甲鈑類の製造に着手した。
しかし、起工直前の同年3月に友鶴事件が発生し、全艦艇の復原性能が徹底的に調査されることになった。これにより蒼龍原案は、過大な兵装搭載による復原力不足が指摘され、再設計を余技なくされた。
この再設計により、蒼龍は主砲を全廃した中型空母に改め、軍令部の要求も次のように改められた。

公試排水量18,000t
搭載機数常用51機+補用17機(艦戦18+6、艦爆33+11)
速力35ノット
航続力18ノットで7,800海里
兵装12.7cm連装高角砲6基
25mm連装機銃14基
防御力弾火薬庫:対20cm砲弾
機関室・軽質油庫:対駆逐艦搭載砲弾

飛行甲板上の巨大な艦橋構造物は、重心点降下の見地から小型の塔型艦橋に改め、位置も右舷中央部から前方に移された。直立煙突も改められ、右舷舷側中央部に2本の斜め下向き湾曲煙突となった。

新設計された蒼龍は1934年11月20日、呉工廠で起工された。蒼龍は排水量の制約により、電気溶接を船体の全構造に採用し、軽量化を図った。だが、建造中の1935年9月に今度は第4艦隊事件が発生し、最近建造された艦と建造中の艦に船体強度の補強が必要なことが判明した。
蒼龍も船体強度の不足が指摘されたため、電気溶接された部分を鋲構造に変更し、船体の広範囲に補強が施された。
このように計画以来、幾度の改正を経て、当初より1年遅れの1937年年12月29日に竣工した。
なお、2番艦の飛龍は、蒼龍の建造実績や大改装された加賀の運用実績を採り入れて、新型艦として建造されることになった。

要目
新造時排水量15,900t
全長227.5m
全幅21.3m
出力152,000馬力
速力34.5ノット
航続力18ノットで7,680海里
兵装40口径八九式12.7cm連装高角砲6基
九六式25mm連装機銃14基
搭載機常用57機+補用16機
飛行甲板長さ216.9m×幅26m

搭載機定数(常用機)
1941年12月~艦戦×18、艦爆×18、艦攻×18
1942年1月~艦戦×21、艦爆×21、艦攻×21
1942年4月~艦戦×16、艦爆×21、艦攻×21
1942年5月~艦戦×21、艦爆×21、艦攻×21

艦歴
1934年11月20日呉工廠で起工
1935年10月23日進水
1937年12月29日竣工
1941年12月8日第1航空艦隊第2航空戦隊旗艦
機動部隊に所属してハワイ作戦に参加
1941年12月21日~23日ウェーキ島攻略支援に参加
1942年1月23日~24日南方部隊に所属してアンボン攻略支援に参加
1942年2月19日機動部隊に所属してポートダーウィン攻撃に参加
1942年3月機動部隊に所属してジャワ海掃討戦に参加
1942年4月機動部隊に所属してインド洋作戦に参加
1942年5月第2航空戦隊旗艦を飛龍に変更
1942年6月第1機動部隊に所属してミッドウェー作戦に参加
1942年6月5日ミッドウェー海戦において米艦上機の爆撃を受けて沈没
柳本艦長以下718名戦死
1942年8月10日除籍

歴代艦長
1941年10月6日~柳本柳作大佐

能力試験時の蒼龍

能力試験時の蒼龍(1938年1月22日)

竣工後、横須賀で残工事を完了した蒼龍は、館山沖で能力試験を行った。写真はその時のもので、岩井袋~浮島標柱間を8/10全力で航走中。

ミッドウェー海戦時の蒼龍

ミッドウェー海戦時の蒼龍(1942年6月5日)

第2次攻撃隊発艦準備中に、米陸軍B-17爆撃機の攻撃を受けた時の写真。円を描いて回避しているのが蒼龍。

飛行甲板に日の丸を描いた蒼龍

飛行甲板に日の丸を描いた蒼龍(1942年6月5日)

上の写真を拡大したもの。飛行甲板前部に味方識別のために大きな日の丸が描かれている。この日の丸は珊瑚海海戦で味方機が誤って米空母に着艦しそうになった事件を受け、急遽とられた措置らしいが、かえって米急降下爆撃機の良い目標になってしまった。


関連用語: 第1航空艦隊第2航空戦隊機動部隊第1機動部隊飛龍