阿武隈
日本海軍長良型軽巡洋艦の6番艦。
艦名の由来は福島県と宮城県を流れる一級河川。
阿武隈は建造中に関東大震災で造船所が被害を受けたため、竣工が他の同型艦より2年以上遅れた。
開戦時、他の同型艦のうち阿武隈だけが酸素魚雷を発射可能な魚雷発射管に換装済みだった。
新造時 | 排水量 | 5,170t |
全長 | 162.15m | |
全幅 | 14.17m | |
出力 | 90,000馬力 | |
速力 | 36ノット | |
航続力 | 14ノットで5,000海里 | |
兵装 | 50口径三年式14cm単装砲7基 40口径三年式8cm単装高角砲2基 八年式61cm連装魚雷発射管4基 八年式61cm魚雷16本 九三式機雷56個 | |
搭載機 | 艦偵1機 | |
開戦時 | 排水量 | 5,860t |
全長 | 162.15m | |
全幅 | 14.17m | |
出力 | 9,0000馬力 | |
速力 | 34.2ノット | |
兵装 | 50口径三年式14cm単装砲7基 九六式25mm連装機銃2基 九二式61cm4連装魚雷発射管2基 九三式61cm魚雷16本 | |
搭載機 | 水偵1機 | |
最終時 | 兵装 | 50口径三年式14cm単装砲5基 40口径八九式12.7cm連装高角砲1基 九六式25mm3連装機銃4基 九六式25mm連装機銃2基 九六式25mm単装機銃14基 九三式13mm連装機銃1基 九三式13mm単装機銃8基 九二式61cm4連装魚雷発射管2基 九三式61cm魚雷16本 |
電探 | 二一号1基、二二号1基 |
艦歴
1921年12月8日 | 浦賀船渠で起工 |
1923年3月16日 | 進水 |
1925年5月26日 | 竣工 |
1941年12月8日 | 第1艦隊第1水雷戦隊旗艦 機動部隊に所属してハワイ作戦に参加 |
1942年1月20日~22日 | 機動部隊に所属してラバウル・カビエン攻略支援に参加 |
1942年3月 | 機動部隊に所属してジャワ海掃討戦に参加 |
1942年4月 | 機動部隊に所属してインド洋作戦に参加 |
1942年6月 | 北方部隊に所属してアリューシャン作戦に参加 |
1942年12月 | 機銃を増備 |
1943年3月27日 | アッツ島沖海戦に参加 |
1943年4月1日 | 第5艦隊第1水雷戦隊旗艦となる |
1943年4月 | 機銃の増備と二一号電探1基を装備 |
1943年7月 | キスカ島撤収作戦に参加 |
1943年7月27日 | 同作戦中、濃霧のため海防艦国後と接触して損傷 |
1943年10月 | 機銃の増備と12.7cm高角砲1基を装備 14cm単装砲2基と航空兵装を撤去 |
1944年7月 | 機銃の増備と二二号電探1基を装備 |
1944年10月 | 第2遊撃部隊に所属して捷一号作戦に参加 |
1944年10月25日 | スリガオ海峡海戦で魚雷艇の雷撃を受けて損傷 |
1944年10月26日 | ミンダナオ海において米軍機の爆撃を受けて沈没 |
1944年12月20日 | 除籍 |
歴代艦長
1940年11月1日~ | 村山清六大佐 |
1942年9月20日~ | 渋谷紫郎大佐 |
1943年8月28日~ | 小西要人大佐 |
1944年3月26日~ | 花田卓夫大佐 |