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アニメンタリー決断大事典

大和

日本海軍大和型戦艦のネームシップ。
艦名の由来は旧大和国(奈良県)からつけられた。
戦後の日本で最も有名な軍艦。

大和は開戦後まもなく長門に代わって連合艦隊旗艦となる。
捷一号作戦では第2艦隊第1戦隊の旗艦として参加したが、第2艦隊旗艦愛宕がパラワン水道で撃沈されてからは大和が第2艦隊の旗艦となった。
天一号作戦では第2艦隊旗艦として海上特攻に参加して沖縄に向かったが、坊ノ岬沖で米艦上機の攻撃を受けて沈没した。

大和の生涯で、主砲を敵艦に向けて発射したのは、後にも先にも捷一号作戦において生起したサマール沖海戦での米護衛空母群に対する砲撃のみであった。

要目
新造時排水量64,000t
全長263m
全幅38.9m
出力150,000馬力
速力27ノット
航続力16ノットで7,200海里
兵装45口径九四式46cm3連装砲3基
60口径三年式15.5cm3連装砲4基
40口径八九式12.7cm連装高角砲6基
九六式25mm3装機銃8基
九三式13mm連装機銃2基
搭載機水偵6機
最終時兵装45口径九四式46cm3連装砲3基
60口径三年式15.5cm3連装砲2基
40口径八九式12.7cm連装高角砲12基
九六式25mm3連装機銃50基
九六式25mm単装機銃2基
九三式13mm連装機銃2基
電探二一号2基、二二号2基、一三号2基
搭載機水偵6機

兵装変遷
種別名称41年
12月
43年
7月
44年
3月
44年
7月
44年
11月
主砲46cm3連装33333
副砲15.5cm3連装44222
高角砲12.7cm連装(盾付き)66666
12.7cm連装666
機銃25mm3連装(盾付き)88161624
25mm3連装481326
25mm単装26262
13mm連装22222

艦歴
1937年11月4日呉工廠で起工
1940年8月8日進水
1941年12月16日竣工、連合艦隊第1戦隊に編入
1942年2月12日連合艦隊旗艦
1942年6月主力部隊の旗艦としてミッドウェー作戦に参加
1942年8月トラック島に進出
1943年2月11日連合艦隊旗艦を武蔵に変更
1943年7月25mm3連装機銃4基を増備、二一号電探2基と二二号電探2基を装備
1943年12月25日米潜水艦スケートの雷撃を受けて小破
1944年1月修理のため内地に帰投
1944年2月25日第2艦隊第1戦隊に編入、第1戦隊旗艦
1944年3月損傷個所の修理を兼ねて両舷の副砲を撤去、12.7cm連装高角砲6基と25mm3連装機銃12基および同単装26基を増備、一三号電探2基を装備
1944年5月リンガ泊地に進出
1944年6月19日~20日マリアナ沖海戦に参加
1944年6月内地帰投
25mm3連装機銃5基を増備
1944年10月第1遊撃部隊に所属して捷一号作戦に参加
1944年10月23日パラワン水道において第2艦隊旗艦の愛宕沈没後は本艦が旗艦となる
1944年10月24日シブヤン海海戦において米艦上機の爆撃を受けて損傷
1944年10月26日シブヤン海において米艦上機の爆撃を受けて損傷
1944年11月修理のため内地に帰投
損傷個所の修理を兼ねて25mm3連装機銃21基を増備、同単装24基を撤去
1944年11月15日第2艦隊直率
1945年1月1日第2艦隊第1戦隊に編入
1945年2月10日第2艦隊第1航空戦隊に編入
1945年4月第1遊撃部隊旗艦として海上特攻に参加
1945年4月7日九州坊ノ岬沖において米艦上機の雷爆撃を受けて沈没
第2艦隊司令長官伊藤整一中将、有賀艦長以下乗員2,740名戦死
1945年8月31日除籍
1982年初の海底調査を実施、磁気探知や水中カメラなどで大和らしきものを発見
1985年7月31日大和会・遺族会・民間企業の出資により組織された「海の墓標委員会」が海底に沈む大和を発見
1999年8月テレビ朝日の「大和プロジェクト'99」が詳細な調査を実施、遺品の一部を引き揚げる
2016年5月呉市が調査を実施、ハイビジョンカメラによる撮影に成功

歴代艦長
1941年12月16日~高柳儀八大佐
1942年12月17日~松田千秋大佐
1943年9月7日~大野竹二大佐
1944年1月25日~森下信衛大佐
1944年11月25日~有賀幸作大佐

最終艤装中の大和

最終艤装中の大和(1941年9月20日)

予行運転を間近に控えた完成直前の大和。第3砲塔右砲の作動試験中らしい。大和の右は空母鳳翔、左遠方に重巡加古と古鷹、中央遠方に給糧艦間宮が停泊中。

全力予行運転中の大和

全力予行運転中の大和(1941年10月20日)

宿毛湾沖標柱間で全力予行運転中の大和。この時の状態は排水量69,166t、出力153,550馬力、速力27.46ノット。

全力公試中の大和

全力公試中の大和(1941年10月30日)

宿毛湾沖標柱間で全力航走中の大和。この時の状態は排水量69,304t、出力151,700馬力、速力27.3ノット。

捷一号作戦時の大和

捷一号作戦時の大和(1944年10月24日)

シブヤン海海戦での大和。左に転舵して米艦上機の攻撃を回避中。主砲、高角砲、機銃などの配置がわかる。

爆弾が命中した大和

爆弾が命中した大和(1944年10月24日)

シブヤン海海戦での大和。米艦上機の攻撃により、1番砲塔前方に爆弾が命中した瞬間。この時の損傷は軽微だったが、2発目に命中した爆弾は艦首部甲板を貫き左舷錨鎖室で爆発した。

浸水により艦首が下がった大和

浸水により艦首が下がった大和(1944年10月25日)

左舷錨鎖室の損傷により約3,000tが浸水し、艦首が3mほど下がったが、戦闘航海に支障はなかった。左遠方の艦影は長門らしい。

呉港沖で攻撃を受ける大和

呉港沖で攻撃を受ける大和(1945年3月19日)

米軍機の雷爆撃を受けたが、巧みな操艦により被害はなかった。

海上特攻時の大和

海上特攻時の大和(1945年4月7日)

画面奥の艦影が大和。大和を直衛する駆逐艦冬月(画面手前)は、後部の長10cm高角砲で、米艦上機に応戦している。

最期の時が近づいた大和

最期の時が近づいた大和(1945年4月7日)

浸水と傾斜復原の応急注水により、乾舷が減少し左舷側に傾いた大和。この時の速力は12ノット前後。なおも増大する傾斜に対し、応急注水で復原を試みようにも、すでに注水可能な区画は残されていなかった。

最期の瞬間

最期の瞬間(1945年4月7日)

横転して艦全体が火の玉となって大爆発した瞬間。

大和の最期

大和の最期(1945年4月7日)

大爆発により、巨大なキノコ雲が立ち昇る。1945年4月7日14時23分、帝国海軍を象徴する大和は、誕生から3年4ヶ月の短い生涯を終えた。
大和の最期を見届ける艦影は左から駆逐艦霞、初霜、冬月。

関連用語: 連合艦隊第2艦隊第1戦隊主力部隊大和型戦艦武蔵長門愛宕

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