武蔵
日本海軍大和型戦艦の2番艦。
艦名の由来は旧武蔵国(東京都と埼玉県の全域、神奈川県北東部)からつけられた。
1年2ヶ月の短い期間ではあったが、大和に代わって連合艦隊旗艦となった。
対空兵装は逐次増強されたが、捷一号作戦時には大和が高角砲を24門装備していたのに対し、武蔵は竣工時の12門のままであった。これは高角砲の製造が間に合わなかったからだといわれている。
武蔵は1944年10月24日に沈没するまで、その主砲が敵艦に向けて発射されたことは一度としてなかった。
要目新造時 | 排水量 | 64,000t |
全長 | 263m | |
全幅 | 38.9m | |
出力 | 150,000馬力 | |
速力 | 27ノット | |
航続力 | 16ノットで7,200海里 | |
兵装 | 45口径九四式46cm3連装砲3基 60口径三年式15.5cm3連装砲4基 40口径八九式12.7cm連装高角砲6基 九六式25mm3連装機銃12基 九三式13mm連装機銃2基 | |
搭載機 | 水偵6機 | |
最終時 | 兵装 | 45口径九四式46cm3連装砲3基 60口径三年式15.5cm3連装砲2基 40口径八九式12.7cm連装高角砲6基 九六式25mm3装機銃35基 九六式25mm単装機銃25基 九三式13mm連装機銃2基 |
電探 | 二一号2基、二二号2基、一三号2基 | |
搭載機 | 水偵6機 |
兵装変遷
種別 | 名称 | 42年 8月 | 44年 4月 | 44年 7月 |
---|---|---|---|---|
主砲 | 46cm3連装 | 3 | 3 | 3 |
副砲 | 15.5cm3連装 | 4 | 2 | 2 |
高角砲 | 12.7cm連装(盾付き) | 6 | 6 | 6 |
機銃 | 25mm3連装(盾付き) | 8 | 24 | 24 |
25mm3連装 | 4 | 6 | 11 | |
25mm単装 | 25 | 25 | ||
13mm連装 | 2 | 2 | 2 |
艦歴
1938年3月29日 | 三菱長崎造船所で起工 |
1940年11月1日 | 進水 |
1942年8月5日 | 竣工、連合艦隊第1戦隊に編入 |
1942年9月 | 二一号電探2基を装備 |
1943年1月 | トラック島に進出 |
1943年2月11日 | 連合艦隊旗艦 |
1943年5月22日 | 戦死した山本五十六大将の遺骨を積んで内地に帰投 |
1943年6月24日 | 昭和天皇が武蔵に行幸 |
1943年7月 | 二二号電探2基を装備 |
1943年8月 | トラック島に進出 |
1944年2月25日 | 第2艦隊第1戦隊に編入 |
1944年3月29日 | パラオ沖において米潜水艦タニーの雷撃を受けて小破 |
1944年3月31日 | 連合艦隊司令部遭難(海軍乙事件)により旗艦任務を解除 |
1944年4月 | 内地帰投 損傷個所の修理を兼ねて両舷の副砲を撤去、25mm3連装機銃18基と同単装25基を増備、一三号電探2基を装備 |
1944年5月 | タウイタウイに進出 |
1944年6月19日~20日 | マリアナ沖海戦に参加 |
1944年6月 | 内地帰投 25mm3連装機銃5基を増備 |
1944年10月 | 第1遊撃部隊に所属して捷一号作戦に参加 |
1944年10月24日 | シブヤン海海戦において米艦上機の雷爆撃を受けて沈没 猪口艦長以下1,021名戦死 |
1945年8月31日 | 除籍 |
2015年3月2日 | マイクロソフト社の共同創業者で資産家のポール・アレン氏がシブヤン海の水深約1,000mの海底で武蔵を発見 |
2015年3月13日 | 海底からの映像をインターネットで生中継 |
歴代艦長
1942年8月5日~ | 有馬馨大佐 |
1943年6月21日~ | 古村啓蔵大佐 |
1943年12月6日~ | 朝倉豊次大佐 |
1944年8月15日~ | 猪口敏平大佐 |