第1戦隊
第1戦隊は戦艦で編制された部隊。
開戦前の第1戦隊は第1艦隊の隷下にあり、連合艦隊司令長官が第1艦隊と第1戦隊を直率していたが、1941年8月11日に連合艦隊司令部が独立して新たに第1艦隊司令部が置かれた際、連合艦隊司令長官が直率する戦隊となった。
開戦時の第1戦隊は戦艦長門と陸奥で編制されていた。第1戦隊の旗艦は連合艦隊の旗艦でもあり、長門がその任務に就いていた。
1941年12月16日、戦艦大和が竣工、第1戦隊に編入される。
1942年2月12日、連合艦隊旗艦を大和に変更。
ミッドウェー作戦時は主力部隊の主隊として参加。
1942年7月14日、長門と陸奥が第1艦隊第2戦隊に転出し、第1戦隊は大和のみになる。
8月5日、戦艦武蔵が竣工、第1戦隊に編入される。
1943年2月11日、連合艦隊旗艦を武蔵に変更。
1944年2月25日、連合艦隊旗艦を軽巡大淀に変更することが決定され、それに伴ない第1戦隊司令部が新設される。第1戦隊は第2艦隊に転出し、同日に解隊された第1艦隊第2戦隊の長門を編入して戦艦3隻体制となる。
マリアナ沖海戦には前衛部隊に所属して参加。捷一号作戦では第1遊撃部隊第1部隊に所属して参加。10月23日、パラワン水道で第2艦隊旗艦の愛宕が米潜の雷撃を受けて沈没した後は、大和が第2艦隊旗艦になる。24日、シブヤン海において武蔵が米機動部隊の集中攻撃を受けて沈没。25日、サマール沖で米護衛空母群と遭遇して砲撃戦となる。
11月15日、第1戦隊は解隊され、大和は第2艦隊の独立旗艦、長門は第3戦隊に転出した。
1945年1月1日、第1戦隊を再編。第2艦隊旗艦の大和と、同日に解隊された第3戦隊の長門と榛名を編入。
2月10日、燃料事情の悪化により第1戦隊を解隊。大和は第1航空戦隊に転出し、長門と榛名は警備艦に指定された。
1939年8月30日~ | 山本五十六中将(連合艦隊司令長官直率) |
1943年4月21日~ | 古賀峯一大将(連合艦隊司令長官直率) |
1944年2月25日~ | 宇垣纏中将 |
1944年11月15日~ | 解隊 |
1945年1月1日~ | 伊藤整一中将(第2艦隊司令長官直率) |
1945年2月10日 | 解隊 |