長門
日本海軍長門型戦艦のネームシップ。
艦名の由来は旧長門国(山口県北西部)からつけられた。
長門は横須賀鎮守府の所属であったため、修理や改装期間を除いたほぼ全期間に渡って連合艦隊の旗艦を務めた。
戦後、日本戦艦で唯一航行可能だった長門は米軍に接収され、ビキニ環礁で実施された水爆実験の標的艦に使用された。二度に渡る核爆発に耐えたが、7月29日の夜間に沈没した。
新造時 | 排水量 | 32,730t |
全長 | 215.8m | |
全幅 | 28.96m | |
出力 | 80,000馬力 | |
速力 | 26.5ノット | |
航続力 | 16ノットで5,500海里 | |
兵装 | 45口径三年式40cm連装砲4基 50口径三年式14cm単装砲20基 40口径三年式8cm単装高角砲4基 53cm魚雷発射管8門 | |
開戦時 | 排水量 | 39,130t |
全長 | 224.94m | |
全幅 | 34.60m | |
出力 | 82,000馬力 | |
速力 | 25ノット | |
兵装 | 45口径三年式40cm連装砲4基 50口径三年式14cm単装砲18基 40口径八九式12.7cm連装高角砲4基 九六式25mm連装機銃10基 | |
搭載機 | 水偵3機 | |
最終時 | 兵装 | 45口径三年式40cm連装砲4基 50口径三年式14cm単装砲14基 40口径八九式12.7cm連装高角砲6基 九六式25mm3連装機銃26基 九六式25mm連装機銃10基 九六式25mm単装機銃30基 |
電探 | 二一号1基、二二号電探2基 |
艦歴
1917年8月28日 | 呉工廠で起工 |
1919年11月9日 | 進水 |
1920年11月25日 | 竣工 |
1933年8月 | 近代化改装に着手 |
1936年5月 | 近代化改装完了 |
1938年12月 | 第1艦隊第1戦隊に編入、連合艦隊旗艦 |
1941年8月11日 | 連合艦隊第1戦隊に編入 |
1941年12月8日 | 内地に在泊 |
1942年2月 | 連合艦隊旗艦を大和に変更 |
1942年6月 | 主力部隊に所属してミッドウェー作戦に参加 |
1942年7月14日 | 第1艦隊第2戦隊に編入 |
1943年6月 | 二一号電探1基装備 |
1944年2月25日 | 第2艦隊第1戦隊に編入 |
1944年6月19日~20日 | マリアナ沖海戦に参加 |
1944年6月 | 機銃の増備と二二号電探2基および一三号電探2基を装備 |
1944年10月 | 第1遊撃部隊に所属して捷一号作戦に参加 |
1944年10月24日 | シブヤン海海戦において米艦上機の爆撃を受けて損傷 |
1944年11月15日 | 第2艦隊第3戦隊に編入 |
1945年1月1日 | 第2艦隊第1戦隊に編入 |
1945年2月10日 | 横須賀鎮守府警備艦として横須賀に繋留 |
1945年4月20日 | 予備艦として横須賀に繋留 |
1945年6月1日 | 特殊警備艦として横須賀に繋留 |
1945年7月18日 | 横須賀において米艦上機の爆撃を受けて艦橋が大破 大塚艦長戦死 |
1945年9月15日 | 除籍、戦利艦として連合軍に接収、米軍に引渡し |
1946年7月1日 | ビキニ環礁において第1回目の水爆実験の標的艦となる。空中爆発実験において損傷を受けるも損害は軽微 |
1946年7月25日 | 第2回目の水爆実験の標的艦となる。水中爆発実験において損傷、約5度の傾斜を生じる |
1946年7月29日 | 浸水により沈没 |
歴代艦長
1941年8月22日~ | 矢野英雄大佐 |
1942年11月10日~ | 久宗米次郎大佐 |
1943年8月2日~ | 早川幹夫大佐 |
1943年12月15日~ | 兄部勇次大佐 |
1944年12月27日~ | 渋谷清見大佐 |
1945年4月28日~ | 大塚幹大佐 |
1945年7月18日~ | 池内正方大佐 |