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アニメンタリー決断大事典

利根型重巡洋艦

日本海軍重巡洋艦。同型艦に利根、筑摩がある。
利根型は当初、改最上型軽巡として計画され、1933年6月の第2次補充計画で次のように要求した。

基準排水量8,450t
兵装15.5cm3連装砲5基
12.7cm連装高角砲4基
20mm機銃12門以上
61cm魚雷発射管片舷6射線
搭載機水偵4機
速力36ノット
航続力18ノットで10,000海里

排水量は最上型の8,500tより50t少なくなっているが、これは条約の建造枠内に収めるために引き下げたものであった。速力は最上型より1ノット低下したが、航続力は最上型の14ノット8,000海里から18ノットで10,000海里と増大している以外は最上型とほとんど同じだった。

利根は1934年12月1日に三菱長崎造船所で起工、筑摩は1935年10月1日に同じく三菱長崎造船所で起工されたが、1936年には軍令部から次のような改正要求が出された。

公試排水量12,500t
兵装15.5cm3連装砲4基
12.7cm連装高角砲5基
13mm機銃および20mm機銃12門以上
61cm魚雷発射管片舷6射線
搭載機水偵6機
速力36ノット
航続力18ノットで8,000海里

主砲は1基減じて4基、高角砲は1基増加して5基となり、機銃は計画の20mm機銃から25mm機銃と13mm機銃となった。速力は同じであったが、航続力は2,000海里減少した。搭載機は2機増加して6機となった。
この時に利根型は主砲塔を前部に集中配置し、後部を航空兵装に充てた航空巡洋艦に設計が改められたが、実際にはさらに改定され、主砲は条約の失効により20.3cm連装砲4基に変更、高角砲は1基減じて4基となった。

利根は1938年11月20日に竣工、筑摩も1939年5月20日に竣工した。利根型は最上型で実施した復原性能や船体強度の改善を建造の初期に盛り込むことができたため、船体形状はすっきりし、実用性も高かった。
利根型の主砲を20.3cm砲に変更したことは極秘とされ、対外的にも15.5cm砲搭載の軽巡として公表され、種別も二等巡洋艦に類別された。利根型が重巡であるのに、艦名が河川名であるのはこのためである。米海軍が20.3cm砲搭載艦だったことを知ったのは、南太平洋海戦で撮影された筑摩の写真からであった。

主砲

主砲は20.3cm連装砲4基を装備。この砲は50口径三年式二号20cm砲と呼ばれていたが、秘匿のために公式図上では九八式15.5cm砲と仮称されていた。
主砲塔は全て前部に集中配置され、1番と2番砲塔を背負式に、3番と4番砲塔は後方に向けて1番砲塔と同一の高さに配置した。3番と4番砲塔を後方に向けたのは、後方射界をできる限り確保するのと、弾火薬庫の防御重量を節約するためであった。

高角砲

高角砲は40口径八九式12.7cm連装高角砲4基を中央部両舷に2基ずつ装備した。
高角砲の装備数は、最初の計画では最上型と同数の4基とされたが、航空巡洋艦に変更した際、後部の中心線上に1基増設して5基となったが、最終的には再び4基に変更された。

魚雷兵装

発射管は最上型と同じ九〇式3連装発射管4基で、航空甲板付近の上甲板両舷に2基ずつ装備した。

航空兵装

後部は全て航空兵装に充てられた。これは主砲発砲時の爆風で搭載機が破壊されるのを防ぐのと、砲戦中でも搭載機の射出が可能という利点があった。
航空甲板は、後檣後方の最上甲板と後方の一段低い上甲板とにわかれ、両甲板は中心線上で傾斜した運搬軌条で結ばれていた。両甲板を同一の高さとしなかったのは、重心点の上昇を防ぐためであったが、搭載機の運搬移動には問題があったといわれている。
最上甲板の両舷に射出機が1基ずつ装備され、搭載機は射出機後方に2機を搭載し、上甲板には4機を搭載した。
搭載機は連続射出を考慮して格納庫を設けず、全て露天繋止とした。
搭載機数は計画では九五式水偵4機、九四式水偵2機の計6機を定数としていたが、実際の定数は九五式水偵3機、九四式水偵2機の計5機とされた。これは射出機上の搭載機が故障した場合の交換作業や、露天繋止による整備上の不利を考慮して余裕を持たせたからだといわれている。
なお、筑摩が完成後に行った実験では、九四式水偵4機、九五式水偵4機の計8機の搭載が可能なことが確認されている。

防御

砲塔を集中配置したことで防御を効率よく施すことができた。弾火薬庫舷側部は145~55mmのテーパード・アーマー、水平部は56mmの甲鈑を装着、機関部舷側は100~65mmのテーパード・アーマー、水平部は31mm、傾斜部は65mmの甲鈑を装着した。
水中防御として縦隔壁は機械室は45mm、缶室は34mmのDS甲鈑が装着され、日本の重巡では最も重防御であった。

航空巡洋艦への改正理由

この改正理由について、さまざまな説が伝えられている。

偵察巡洋艦としての役割
艦隊決戦に先立って、水偵を各方面に放ち、敵艦隊の所在と行動を報告する偵察巡洋艦の強化が必要になり、利根型がその目的に改正されたという説。

潜水戦隊旗艦としての役割
米艦隊邀撃漸滅作戦時に水偵を各方面に放って敵艦隊を発見し、潜水艦隊を敵艦隊に送り込むための潜水戦隊旗艦が必要となり、利根型がその目的に改正されたという説。なお、後の大淀型軽巡がこの目的のために建造されている。

主砲の命中率向上を図るため
5砲塔搭載の妙高型と高雄型の命中率は、3砲塔搭載の古鷹型と青葉型に比して劣っていたため、利根型は砲塔を集中することで散布界を縮めて、命中率の向上を図ったという説。
実際には利根の主砲散布界は非常に大きく、砲塔の集中は効果がなかったため、次の改鈴谷型重巡として計画された伊吹では、再び従来の砲塔配置に戻されている。

利根型2隻は第8戦隊を編制し、開戦時のハワイ作戦では、強力な偵察能力と長大な航続力を買われて機動部隊に所属し、以後の作戦でも機動部隊の眼として常に行動を共にした。

関連用語: 利根最上型巡洋艦

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