高雄型重巡洋艦
日本海軍重巡洋艦。同型艦に高雄、愛宕、鳥海、摩耶がある。
高雄型は妙高型に続く条約型巡洋艦として、1927年の補助艦艇補充計画で策定された。
この頃、ジュネーブ国際会議で補助艦艇の性能や保有量が議論されており、それまでに制限の基礎となる実在兵力を増大しておかねば、ワシントン条約の二の舞を演じることになりかねないという焦りが海軍部内にあり、そのため、妙高型に続く条約型巡洋艦の完成をできるだけ急がねばならなかった。
このような事情から高雄型は、建造途上にあった妙高型の実績を確認することなく、その設計を踏襲した。船体の主要寸法はほとんど同じで、主砲の配置方法、機関も妙高型と変わらなかったが、兵装や防御などは次のような改正を加え、より有力な重巡洋艦となった。
主砲
妙高型の20cm砲から、口径を20.3cmに増大した50口径三年式二号20cm砲を装備した。この砲は最大射程29,700m、初速835m/秒 発射速度5発/分、威力は距離10,000mで190mm、20,000mで114mm、29,300mで74mmの装甲を貫通できた。
砲塔は妙高型のD型砲塔から新設計のE型砲塔に換えた。この砲塔は仰角70度までの対空射撃が可能で、最大射高は12,000mに達したが、発射速度、俯仰、旋回速度が遅く、射撃指揮装置も対空用にできてはいなかった。しかも、大仰角で射撃する機会はほとんどなく、むしろ、低仰角で射撃する機会が多かったので、4番艦の摩耶だけは最大仰角55度のE1型砲塔に改められた。
砲塔防御は25mmと従来とかわらず、弾片弾防御程度の効果しかなかった。これは砲塔の重量が重くなると旋回速度が低下するため、このような薄弱な防御となった。
対空兵装
主砲で対空射撃が可能となったため、12cm単装高角砲は妙高型の6基から4基に減少した。
機銃は40mm単装機銃2基を搭載。この機銃は毘式40m機銃と呼ばれ、高雄型に初めて搭載されたが、初速が遅く、射程も短いため、後に保式13mm4連装機銃に換装された。
魚雷兵装
妙高型では魚雷の強度の問題から魚雷発射管を中甲板に搭載していた。これは被弾時に魚雷が誘爆して船体を損傷する危険が大きいとして問題となっていたが、その後、魚雷の性能が向上し、上甲板からの発射が可能となったので、高雄型では上甲板に移された。
発射管は重量と防御上の関係から連装4基とした。射線数は妙高型の3連装4基片舷6射線から片舷4射線に減少したが、次発装填装置を備えていたため、実質的には片舷8射線に近い能力を持っていた。
この発射管は八九式発射管と呼ばれ、重量は関係装置も含めて14.5t、旋回速度は105度で23.3秒、次発装填に要する時間は20秒だった。
魚雷は九〇式魚雷を24本搭載、炸薬量373kg、射程距離は46ノットで7,000m、42ノットで10,000m、35ノットで15,000mであった。
航空兵装
搭載機は妙高型より1機増えて3機となった。射出機は日本海軍で初めて2基を装備した。
艦橋構造物
用兵側の要求を大幅に採り入れて、艦橋の機能を細分化した結果、艦橋構造物がきわめて巨大化した。これは用兵側と造船関係者で艦橋配置検討のため、艤装中の高雄の上甲板に実物大の木造模型を作って議論した末に決定したものであった。
高雄型の艦橋構造物が巨大化したことは、艦政本部側が用兵側の要求を可能な限り実現しようとした結果で、もっと用兵側の要求を取捨選択し、実戦に適した艦橋構造物を設計すべきだったとの批判は強く、重心点の上昇や標的面積増大を懸念する声も少なくなかった。
しかし、後の実戦での使用実績では、艦橋が大きいために不利になったことはないといわれている。
防御
弾火薬庫や機関部などの主要防御部の長さを妙高型より約1m短縮し、それで浮いた重量で、さらに主要防御部を強化した。前後部の弾火薬庫舷側の甲鈑は妙高型の102mmから127mmに増厚し、機関部舷側は102mmの甲鈑を約12度傾斜させて装着した。
軽量化
重量軽減のため、構造物の一部に電気溶接を採用し、艤装、機関、兵装などに軽合金材を広範囲に使用した。
近代化改装
高雄が1938年5月に工事に着手し、1939年8月21日に完成、愛宕も1938年4月に着手し、1939年10月30日に完成した。鳥海と摩耶の2隻は、1941年に着手する予定であったが、開戦により実施されなかった。この改装の内容は高雄、愛宕に準じたものであったとされるが、後檣の移動は含まれていなかったらしい。
対空兵装の強化
45口径十年式12cm単高角砲から40口径八九式12.7cm連装高角砲に換装する計画であったが、予算の関係から支筒、架台、弾火薬庫関連の工事のみ実施された。
改装時に予定されながら、換装の遅れていた12.7cm連装高角砲の装備は、高雄が1942年3月に実施、愛宕も1942年4月に実施された。
機銃は従来のものを撤去して、新たに九六式25mm連装機銃4基と九三式13mm連装機銃2基を装備した。
魚雷兵装の換装
八九式連装発射管を九二式4連装発射管に換装した。魚雷は九〇式魚雷から酸素魚雷の九三式魚雷を24本搭載した。
航空兵装の改正
後檣を4番砲塔前に移設して、その前方から後部予備指揮所までの航空甲板を高角砲甲板と同一に高めた。甲板上に運搬軌条や旋回盤などを設け、両舷の射出機は新型に換装された。
艦橋構造物の縮小化
新造時に批判のあった巨大な艦橋構造物は、羅針艦橋から上部を大幅に改装して、縮小化が図られた。
バルジの装着
改装による重量増加にともなう喫水増加を防ぐため、バルジを装着し、水線部付近には水密銅管を充填して、浮力の保持を図った。
高雄型4隻で第4戦隊を編制し、開戦時は愛宕、高雄、摩耶の3隻は南方部隊の主力として南方作戦の全般支援に参加した。
鳥海はマレー部隊の旗艦としてマレー作戦を支援、その後は第8艦隊の旗艦となって、第1次ソロモン海戦などに参加した後、第4戦隊に復帰した。
捷一号作戦では、愛宕と摩耶がパラワン水道で米潜水艦の雷撃を受けて沈没、高雄も大破してシンガポールに回航、鳥海はサマール沖海戦で米駆逐艦の雷撃を受けて大破、自沈処分された。
唯一残った高雄は、英特殊潜航艇の攻撃を受けて大破し、航行不能の状態で終戦を迎えた。