君は「アニメンタリー決断」を知っているか

アニメンタリー決断大事典

熊野

日本海軍最上型巡洋艦の4番艦。
艦名の由来は紀伊半島を流れる一級河川。

熊野は最上と三隈で露呈した復原性能や船体強度の不足を改善した状態で竣工したので、先に竣工した2艦とは若干艦型が異なっていた。

熊野は、1944年10月25日のサマール沖海戦から、11月25日にサンタクルーズ湾で沈没するまでの1ヶ月間に魚雷8本と爆弾7発が命中した。
サマール沖海戦で米駆逐艦の魚雷1本を受けて艦首を失い、翌26日には爆弾3発を受けて第1煙突を失った。さらに11月6日には米潜水艦の魚雷2本を受けて第1砲塔から前部を切断し、機械室は完全に浸水して航行不能となった。商船に曳航されてサンタクルーズ湾に入港した熊野は、応急修理で速力6ノットを出せるようになったが、11月25日に米艦上機の攻撃により魚雷5本と爆弾4発を受け、遂に沈没した。

要目
新造時排水量12,000t
全長201.6m
全幅22m
出力152,000馬力
速力35ノット
航続力14ノットで8,000海里
兵装60口径三年式15.5cm3連装砲5基
40口径八九式12.7cm連装高角砲4基
九六式25mm連装機銃4基
九三式13mm連装機銃2基
九〇式61cm3連装魚雷発射管4基
九〇式61cm魚雷24本
搭載機水偵3機
最終時兵装50口径三年式二号20cm連装砲5基
40口径八九式12.7cm連装高角砲4基
九六式25mm3連装機銃8基
九六式25mm連装機銃4基
九六式25mm単装機銃24基
九〇式61cm3連装魚雷発射管4基
九三式61cm魚雷24本
電探二一号1基、二二号2基、一三号1基
搭載機水偵3機

艦歴
1934年4月5日神戸川崎造船所で起工
1936年10月15日進水
1937年10月31日竣工
1939年5月主砲換装に着手
1939年12月主砲換装完了
1941年12月8日第2艦隊第7戦隊旗艦
マレー部隊に所属してマレー作戦に参加
1942年2月マレー部隊に所属して蘭印作戦に参加
1942年4月マレー部隊機動部隊に所属してインド洋作戦に参加
1942年6月攻略部隊に所属してミッドウェー作戦に参加
1942年7月14日第3艦隊第7戦隊旗艦
1942年8月24日~25日第二次ソロモン海戦に参加
1942年10月26日~27日南太平洋海戦に参加
1943年6月ラバウルに進出、輸送任務に従事
1943年7月20日コロンバンガラに進出中、雷撃を受け小破
1944年6月第2艦隊第7戦隊旗艦
1944年6月19日~20日マリアナ沖海戦に参加
1944年10月第1遊撃部隊に所属して捷一号作戦に参加
1944年10月25日サマール沖海戦において米駆逐艦ジョンストンの雷撃を受けて損傷
1944年11月6日船団護衛を兼ねて高雄に回航中、米潜水艦の雷撃を受けて損傷
1944年11月25日サンタクルーズ港において米艦上機の攻撃を受けて沈没
1945年1月20日除籍

歴代艦長
1941年5月24日~田中菊松大佐
1943年2月17日~藤田俊造大佐
1944年3月29日~人見錚一郎大佐

関連用語: 第2艦隊第3艦隊攻略部隊最上型