第2水雷戦隊
第2水雷戦隊は水雷戦を目的に編制された部隊。
開戦時の第2水雷戦隊は旗艦の軽巡神通と第8駆逐隊、第15駆逐隊、第16駆逐隊、第18駆逐隊で編制され、第2艦隊に所属した。
開戦時は比島部隊に所属して比島作戦の支援、スラバヤ沖海戦などに参加。
ミッドウェー作戦では攻略部隊に所属して参加。その後は第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、ルンガ沖夜戦などに参加した。
1942年9月25日、神通が第二次ソロモン海戦で受けた損傷修理のため呉鎮守府部隊に転出、代わって南西方面艦隊第2南遣艦隊第16戦隊の軽巡五十鈴を編入。
1943年1月16日、神通が第2水雷戦隊に復帰。五十鈴は第16戦隊に戻る。
7月12日、コロンバンガラ島沖海戦で神通が米艦隊の砲雷撃を受けて沈没、第2水雷戦隊司令官伊崎俊二少将が戦死、第2水雷戦隊司令部も全滅した。
7月20日、ソロモン諸島方面の作戦で消耗した第2水雷戦隊は、同じく消耗した第4水雷戦隊を統合して再編。第4水雷戦隊司令部は第2水雷戦隊司令部に異動した。旗艦は長良に変更。
8月15日、軽巡能代が第2水雷戦隊に編入。長良は第8艦隊に転出する。
マリアナ沖海戦には前衛部隊に所属して参加。
捷一号作戦では第1遊撃部隊第1部隊に所属して参加。
10月26日、能代が米機動部隊の攻撃を受けて沈没。旗艦を駆逐艦島風に変更。
11月11日、多号作戦第3次作戦で旗艦の島風が米機動部隊の攻撃を受けて沈没、第2水雷戦隊司令官早川幹夫少将が戦死。
11月15日、解隊された第3艦隊第10戦隊から軽巡矢矧を編入。
1945年4月7日、天一号作戦では第1遊撃部隊に所属して参加。沖縄に向かう途中、坊ノ岬沖で矢矧と駆逐艦多数が米機動部隊の攻撃を受けて沈没。
4月20日、第2水雷戦隊を解隊。
1941年9月15日~ | 田中頼三大佐 |
1942年12月29日~ | 小柳富次少将 |
1943年1月21日~ | 伊崎俊二少将 |
1943年7月20日~ | 高間完少将 |
1943年12月15日~ | 早川幹夫少将 |
1944年11月20日~ | 木村昌福少将 |
1945年1月3日~ | 古村啓蔵少将 |
1945年4月20日 | 解隊 |