軍令部総長が海軍の指揮官に対し、大命(国軍の最高指揮官である大元帥(天皇)からの命令)を奉勅(伝達の実施)する時に発したものを「大海令」と称した。
大海令の発令は、軍令部総長が大海令を起案し、その決裁を天皇に仰ぎ裁可を受けたのち、軍令部総長が各指揮官に伝達するという形式をとっていた。
大海令には基本的な要項が記されているのみで、細部に関しては「細項ニ関シテハ軍令部総長ヲシテ之ヲ指示セシム」と末尾に記されているにすぎなかった。無論これだけでは作戦の遂行はできないので、軍令部総長は天皇から委任を受けた範囲内で細部事項を各指揮官に指示することができた。この指示を「大海指」と称した。
大海令に相当するものが最初に発せられたのは日清戦争で、1894年7月19日に「命令第1号」として大本営名で連合艦隊司令長官に伝達された。日露戦争では1904年2月5日に「大海令第1号」として海軍大臣から連合艦隊司令長官に伝達され、第1次世界大戦では1919年8月23日に「大海令第1号」として軍令部長から第1・第2艦隊に伝達された。
支那事変では1937年7月28日に「大海令第1号」として軍令部総長から連合艦隊司令長官に伝達され、以降1941年9月6日までに304号の大海令が発せられた。
1941年11月4日、大東亜戦争(対米英蘭戦)に備えて、支那事変中に発せられた大海令には頭に「支」を付け「支大海令○号」と呼称することにし、大東亜戦争において発せられる大海令との区別を図った。大東亜戦争中に発せられた大海令は1945年9月1日までに57号に及び、軍令部総長の指示による大海指は540号に達した。
なお、陸軍では海軍の大海令に相当するものとして「大陸命」があった。大陸命は1937年11月22日に「大陸命第1号」が発せられ、以降1945年8月16日までに1384号が発せられた。大陸命は大海令のように支那事変と大東亜戦争とを区別することなく、一貫して発せられていた。また、海軍の大海指に相当すものとして参謀総長の指示による「大陸指」は、1945年9月1日までに2561号が発せられた。