陸軍士官学校
陸軍士官の育成を目的とした教育機関。1874年に東京市ヶ谷に陸軍士官学校として正式に発足した。
陸軍士官学校(陸軍士官学校予科、陸軍予科士官学校)に入学するには身体頑健・裸眼視力1.0以上が要求され、かつ以下の条件のいずれかを満たしていなければならなかった。
- 16歳~19歳まで(学歴は問わなかったが、普通は中学校に進学した者)
- 24歳までの現役下士官、25歳までの幹部候補生、操縦候補生、現役兵
- 中央陸軍幼年学校(中央陸軍幼年学校本科)の卒業者(陸軍士官学校予科が設置されてからは地方陸軍幼年学校卒業者)
陸軍将校になるための教育を受け、晴れて少尉に任官するまでの課程は以下の二通りの方法があった。
- 中学校卒業 → 士官候補生(隊付1年、一等兵) → 陸軍士官学校(1年7ヶ月、軍曹) → 見習士官(6ヶ月、曹長) → 少尉任官
- 地方陸軍幼年学校(3年) → 中央陸軍幼年学校(1年8ヶ月) → 士官候補生(隊付6ヶ月、上等兵) → 陸軍士官学校(1年7ヶ月、軍曹) → 見習士官(6ヶ月、曹長) → 少尉任官
地方陸軍幼年学校とは、13歳~14歳が入学し、一般的な中学とほとんど同じ教科を教え、軍人精神を養う全寮制の学校。東京、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本に学校が置かれ、それぞれ「○○陸軍幼年学校」と呼ばれた。各校とも、毎年50名前後が採用されていた。
1922年より各校が次々と廃校され、1928年からは東京のみとなったが、1936年以降は各校が次々に復活している。
中央陸軍幼年学校とは、地方陸軍幼年学校を卒業した者が入学する全寮制の学校で、一般的な高校とほとんど同じ教科を教え、軍人精神を養った。
1903年に中央陸軍幼年学校は中央陸軍幼年学校本科と改称され、同時に東京陸軍幼年学校は中央陸軍幼年学校予科と改称された。
1920年になると中央陸軍幼年学校本科は陸軍士官学校予科に、陸軍士官学校は陸軍士官学校本科に改編され、教育課程は以下の通り一本化された。
中学校4年終了または地方陸軍幼年学校卒業(中学1年 → 幼年学校3年) → 陸軍士官学校予科(2年) → 士官候補生(隊付6ヶ月、上等兵) → 陸軍士官学校本科(1年10ヶ月、軍曹) → 見習士官(2ヶ月、曹長) → 少尉任官
この改編と同時に中央陸軍幼年学校予科は、元の東京陸軍幼年学校に改称されている。
支那事変勃発後、陸軍士官学校予科は入学者が増えて校舎も手狭になったため、1938年8月に陸軍予科士官学校として分離・独立した。これに伴い陸軍士官学校本科は、市ヶ谷から神奈川県座間に移転、1941年には陸軍予科士官学校が埼玉県朝霞に移転した。
1938年12月には航空科士官を育成する陸軍航空士官学校が埼玉県所沢(後に埼玉県豊岡に移転)に開校した。陸軍予科士官学校を卒業した者が入学し、教育期間は2年~2年10ヶ月であった。
一般的には陸軍士官学校、陸軍士官学校本科、陸軍士官学校予科、陸軍予科士官学校、陸軍航空士官学校を陸軍士官学校と総称した。
陸軍士官学校の卒業者は敗戦までに約5万名を数えた。
1941年6月20日~ | 篠塚義男中将 |
1942年4月1日~ | 牛島満中将 |
1944年8月8日~ | 山室宗武中将 |
1945年3月19日~ | 北野憲造中将 |
1945年9月30日 | 廃校 |