決断で使用されたBGMには軍歌・戦時歌謡曲をアレンジしたものがあった。
ここでは、アレンジ元となった曲の解説と各話の使用場面を紹介する。
嗚呼神風特別攻撃隊
作詞:野村俊夫/作曲:古関裕而
神風特別攻撃隊の戦果が発表されたその日の夜、NHK国民合唱で発表された。この歌は作詞者の野村俊夫と作曲者の古関裕而が電話で字数を打ち合わせ、放送直前に両方を合わして作られた。
レコードは1944年3月にコロムビアで録音されたが、この音盤は現在も発見されてはいない。
愛馬進軍歌
作詞:久保井信夫/作曲:新城正一
1938年10月、軍馬の功績を称えて感謝し、愛馬心を喚起するため陸軍馬政課が詞と曲を一般公募した陸軍省選定歌。当時の馬政課長、栗林忠道大佐の提唱でこの歌が作られた。
詞の選考には陸軍省馬政課、陸軍情報部、内閣情報部、東京中央放送局長、北原白秋、西條八十、土井晩翠、斎藤茂吉らが審査に当たり、香川県在住の久保井信夫の作品「愛馬が征く」が選ばれた。
曲は小倉中学の音楽教師新城正一の作品が選ばれた。
1938年末、日比谷公会堂で初演。1939年1月にコロムビア、ビクター、キング、ポリドール、タイヘイ、ツル、テイチクの7社からレコードが発売され大ヒットした。
荒鷲の歌
作詞・作曲:東辰三
1938年6月、ビクターから東京リーダー・ターフェルフェライン男声合唱の歌唱で発表されたが、B面の曲だったということもあってか、あまりヒットはしなかった。しかし1940年10月に波岡惣一郎の歌唱で再発売されたときは大ヒットした。
「ブンブン荒鷲ブンと飛ぶぞ」の調子が良い。
命を捨てて
海軍将官の葬儀に演奏された礼式歌。
1943年6月5日の山本五十六の国葬の際、陸軍軍楽隊が葬列に加わりこの曲を演奏した。
海ゆかば
作詞:大伴家持/作曲:信時潔
「万葉集」巻第18の大伴家持の詩、
「大伴の遠つ神祖の、その名をば大来目主と、負ひ持ちて仕へし官、海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、大皇の辺にこそ死なめ、顧り見はせじと言立て、丈夫の清きその名を、古よ今の現に、流へる祖の子等ぞ」
に、東京音楽学校作曲科教授の信時潔が曲を付けたもの。
1937年10月13日から一週間展開された「国民精神総動員強調週間」という精神運動のために作られた。
この曲は大ヒットし、1942年12月には大政翼賛会が海ゆかばを国歌に次ぐ国民歌に指定、1943年からは大政翼賛会などで儀式の黙祷時に使われるようになり、同年10月の学徒出陣式の際にも学徒が斉唱していた。
戦争末期の大本営発表のラジオ放送では、玉砕などの戦況が悪いときに流すようにもなった。
英国東洋艦隊潰滅
作詞:高橋掬太郎/作曲:古関裕而
作詞者と作曲者が互いに連絡を取り合って作った歌。曲の方が先に完成し作詞者が字数に合うよう詩を当てはめ、マレー沖海戦を伝えた大本営発表の約3時間後に、オーケストラ伴奏と作曲者の指揮で藤山一郎がNHK国民歌謡で歌って放送するという神業をやってのけた。
詩と曲の合わせ方が強引で、特に「プリンス・オブ・ウェールズ」の部分には無理があった。
この歌は当時、何故かレコード化されず、戦後二十数年を経てやっとレコード化された。
ちなみに、この曲にサトウハチローが詩を付けた「断じて勝つぞ」という歌が藤山一郎の歌唱で発表されている。
男なら
作詞:西岡水朗/作曲:草笛圭三
軍隊で人気のあった歌。1937年4月に林伊佐緒・近衛八郎・樋口静雄の歌唱でキングから発売された。
この歌の旋律は山口県の民謡オーシャリ節が元歌。
加藤隼戦闘隊(加藤部隊歌)
作詞:田中林平・旭六郎/作曲:森屋五郎・原田喜一・岡野正幸
加藤部隊歌が正式名だが、1944年3月封切の東宝映画「加藤隼戦闘隊」の主題歌に使われたことから映画と同じ名前で馴染むようになった。
原曲は1940年に飛行第64戦隊が広東にあった時に作られた歌。同隊員の田中林平と旭六郎が作詞、これに南支派遣軍軍楽隊員の森屋五郎・原田喜一・岡野正幸の3名が曲をつけて「陸軍飛行第64戦隊歌」として発表した。加藤建夫少佐が部隊長として赴任してからは「加藤部隊歌」に変更したという。
この歌は全部で5番まであるが、その4番目の詩は戦死した戦友を悼む内容で、曲も転調して雰囲気が変わる歌であった。
レコードは1943年5月に灰田勝彦の歌唱でビクターから発売され大ヒットした。
軍艦行進曲
作詞:鳥山啓/作曲:瀬戸口藤吉
この歌は、鳥山啓の「此の城」という詩に、瀬戸口藤吉が曲を付けて「軍艦」として1897年頃発表。その後、東儀季芳が作曲した礼式歌「海ゆかば」(大政翼賛会が指定した国民歌とは別の曲)の旋律を曲の中間部に挿入した「軍艦行進曲」として発表した。
初演は1900年4月30日の神戸沖観艦式とされている。
海軍では観兵式には必ず演奏するよう定め、軍艦の進水式や入出港時にも演奏した。
戦時中は大本営海軍部発表のラジオ放送で使用された。
戦後は、海上自衛隊の公式行進曲として主に艦艇の進水式、自衛艦旗授与式、観閲式などで演奏されるほか、艦艇の出入港、演奏会、艦艇の一般公開や基地の一般開放などのイベントでも演奏されることがある。
軍艦行進曲の旋律を用いた替え歌が多く作られ、学校の校歌・応援歌、ミャンマー国軍の軍歌、グリーンマンマーチ(特撮TVドラマ「行け!グリーンマン」の挿入歌)などがある。轟沈
作詞:米山忠雄/作曲:江口夜詩
インド洋における日本海軍潜水艦の活躍を撮影した海軍報道部監修の記録映画「轟沈」の主題歌。カメラマンが潜水艦に便乗して撮影したこの映画は、軍事機密の潜水艦の内部を鮮明に映していた。
この映画の主題歌は、軽快なリズムと砕けた歌詞が大衆に受け人気を得た。
レコードは1944年4月に楠木繁夫の歌唱でコロムビアから発売された。
ジャワのマンゴ売り
作詞:門田ゆたか/作曲:佐野鋤
1942年9月に灰田勝彦・大谷冽子の歌唱でビクターから発売。
南国情緒の甘い旋律と安らぎのある歌詞が特徴。
上海だより
作詞:佐藤惣之助/作曲:三界稔
1937年12月に上原敏の歌唱でポリドールから発売され大ヒットした歌。
この歌のヒットにより「南京」、「広東」、「北満」、「仏印」などの「だより」シリーズが作られた。
上海の花売娘
作詞:川俣栄一/作曲:上原げんと
1939年5月に岡晴夫の歌唱でキングから発売され大ヒットした歌。
この歌のヒットにより「南京」、「広東」、「東京」、「ミナト横浜」、「アメリカ」などの「花売娘」シリーズが作られた。
戦友の遺骨を抱いて
作詞:逵原実/作曲:松井孝造
この歌は、シンガポールに入城行進した近衛師団所属の主計軍曹逵原実が戦友の死を悼む詩を作り、陣中新聞「建設戦」に発表したものに、南遣艦隊所属の海軍軍楽隊の松井孝造が曲を付け、山下中将以下陸海軍の将兵の前で発表された。
レコードはコロムビア・テイチク・ビクター・ポリドールの4社が発売した。
空の神兵
作詞:梅木三郎/作曲:高木東六
落下傘部隊の活躍を称える詩に、フランス帰りのピアニスト高木東六が付けた曲。軍歌とは思えないような美しいメロディーで大ヒットし、陸軍落下傘部隊の訓練現場を撮影した陸軍航空本部監修の記録映画「空の神兵」の主題歌にも使用された。
レコードは1942年6月に四家文子・鳴海信輔の歌唱でビクターから発売。また、灰田勝彦・大谷冽子の歌唱によるレコードも1944年に発売された。
太平洋行進曲
作詞:横山正徳/作曲:布施元
1939年2月、東京日日新聞社と大阪毎日新聞社が海の記念日制定に際して一般公募した海軍省選定歌。
詩は奈良県在住の郵便局員横山正徳の作品、曲は東京市蒲田区役所勤務の布施元の作品が選ばれた。
この歌は曲調が明るく、はつらつとしていたので子供たちにも人気があったという。
レコードは1939年4月に藤原義江・四家文子の歌唱盤が、同年7月には徳山璉・中村淑子・由利あけみ・波岡惣一郎の歌唱盤がビクターからそれぞれ発売された。
敵は幾万
作詞:山田美妙斎/作曲:小山作之助
朝鮮半島の利権をめぐって日本と清国が対立し始めた頃に作られた歌。詩は仮想敵の清国と戦争に至った時のことを歌っていた。
この詩は小説家山田美妙斎が「新体詩選」という月刊誌に「戦景大和魂」として1986年に発表。その中の1・3・8番の詞を抜き出し、小山作之助が「敵は幾万」と改題して作曲、1891年「国民唱歌集」に発表した。
太平洋戦争中は大本営陸軍部発表のラジオ放送で使用された。
同期の桜
作詞:西條八十/作曲:大村能章
1940年頃から海軍兵学校で歌われ始めていた。元の詩は少女倶楽部という本に掲載された上海陸戦隊の戦友物語を詩にした「二輪の桜」を改作したもの。
南から南から
作詞:藤浦洸/作曲:加賀谷伸
1942年12月に三原順子の歌唱でコロムビアから発売された歌。
リズミカルで明朗な長音階の曲で、軍の慰問では人気があった。
めんこい仔馬
作詞:サトウハチロー/作曲:仁木他喜雄
1941年3月封切の東宝映画「馬」の主題歌。
レコードは1941年1月に二葉あき子・高橋祐子歌唱でコロムビアから発売され大ヒットした。
燃ゆる大空
作詞:佐藤惣之助/作曲:山田耕作
1940年9月封切の東宝映画「燃ゆる大空」の主題歌。
レコードは霧島昇・藤山一郎の歌唱でコロムビアから発売された。
ラバウル海軍航空隊
作詞:佐伯孝夫/作曲:古関裕而
1943年3月頃からNHK国民合唱でよく放送されていた歌。この歌の作詞者はビクターの専属、作曲者はコロムビアの専属で、それぞれ所属レコード会社が違っていたが、すでにこの頃は挙国一致が叫ばれ、歌の分野でも互いに協力する体制にあった。
レコードは灰田勝彦の歌唱で1944年1月にビクターから発売され大ヒットした。
ラバウル小唄
作詞:若杉雄三郎/作曲:島口駒夫
1940年9月に新田八郎の歌唱でビクターから発売された「南洋航路」の替え歌。
1944年に「ラバウル小唄」としてラジオで発表された。
若鷲の歌
作詞:西条八十/作曲:古関裕而
1943年9月封切の東宝映画「決戦の大空へ」の主題歌。
この映画は、海軍飛行予科練習生、通称「予科練」の生徒を大量募集するために海軍省の指示で制作された国策映画。当時、中学生必見の映画として引率鑑賞に供せられていた。
作詞の西条八十は、同映画の撮影現場になっていた霞ヶ浦航空隊に出かけ、予科練習生の軍隊生活を見学して詩を作った。
作曲の古関裕而は、霞ヶ浦航空隊で主題歌を発表する日、すでに完成していた長調の曲が気に入らず、現地に赴く途中で思いついた短調の曲をメモして、長調と短調の2曲を発表した。それぞれの曲を聴いた霞ヶ浦航空隊の予科練習生は短調の曲、すなわち現在に伝わっている曲の方を圧倒的に支持したという。
映画の主題歌ではあるが、予科練では正規の軍歌演習に採用され、戦後は予科練出身者の戦友会で愛唱された。
レコードは1943年6月に霧島昇・波平暁男の歌唱でコロムビアから発売され大ヒットした。
BGM各話使用場面
サブタイトル | 曲名 | 使用場面 | |
---|---|---|---|
1 | 真珠湾奇襲 | 軍艦行進曲 | プロローグ(機動部隊ハワイ北方に進出~攻撃隊発進準備完了の場面) |
めんこい仔馬 | ハワイに向けて進撃中の攻撃隊がホノルル放送のラジオを受信している場面 BGMはオリジナル音盤を使用していると思われる | ||
2 | ミッドウェイ海戦 (前編) | 軍艦行進曲 | 赤城の艦内スピーカーから軍艦行進曲が流れる場面(1航艦司令部がミッドウェー作戦に楽観的~零戦の搭乗員と報道班員が会話する場面) BGMは戦後録音の音盤を使用していると思われる |
燃ゆる大空 | 第1次攻撃隊発進の場面 | ||
3 | ミッドウェイ海戦 (後編) | 海ゆかば | エピローグ(飛龍自沈の場面) |
4 | マレー突進作戦 | 敵は幾万 | 第25軍の輸送船団がマレー半島目指して進撃する場面 |
スンカイ川の橋が破壊されていたため進撃を止められてしまう場面 | |||
工兵の架橋作業~工兵が橋脚を支えている間に戦車隊が橋を通過する場面 | |||
5 | シンガポール攻略 | 敵は幾万 | プロローグ |
戦友の遺骨を抱いて | エピローグ(シンガポール入城行進の場面) | ||
6 | 香港攻略 | 敵は幾万 | プロローグ |
上海だより | 香港九龍区入城行進の場面 | ||
7 | マレー沖海戦 | 荒鷲の歌 | 潜水艦伊65の敵艦隊発見の報告を受けて仏印の航空基地から陸攻隊が出撃する場面 |
英国東洋艦隊潰滅 | エピローグ(英戦艦沈没海域で陸攻が花束を投下する場面) | ||
8 | 珊瑚海海戦 | 太平洋行進曲 | MO機動部隊が珊瑚海に進出する場面 |
燃ゆる大空 | 翔鶴の偵察機から敵機動部隊発見の報告を受けて攻撃隊が発進する場面 | ||
9 | ジャワ攻略 | 男なら | プロローグ(陸軍落下傘部隊がパレンバンに降下し、戦闘を繰り広げる場面) |
敵は幾万 | 第16軍がジャワ島に敵前上陸する場面 | ||
ジャワのマンゴ売り | オランダ兵がマンゴ売り(?)の女性に声をかけ、からかう場面 | ||
南から南から | エピローグ(バンドン入城行進の場面) | ||
10 | 海軍落下傘部隊 | 空の神兵 | 海軍落下傘部隊がメナドに降下し、戦闘を繰り広げる場面(歌入り) |
同期の桜 | ムライ少尉とタテノ少尉が戦場で再開する場面 | ||
空の神兵~同期の桜 | ムライ少尉が「俺たち地上攻撃隊の仲間たちの血もこのセレベスの大地に~」と語る場面 | ||
同期の桜 | ムライ少尉がタテノ少尉の部屋を訪ねて、陸戦隊と落下傘部隊の関係悪化を語る場面 | ||
空の神兵 | タテノ少尉を訪ねたムライ少尉が去った後、タテノ少尉が「空の神兵か…、これが軍国の英雄か」と語る場面 | ||
同期の桜 | 落下傘部隊が輸送船に乗って転戦する場面 | ||
空の神兵 | エピローグ | ||
11 | バターン・ コレヒドール攻略 | 敵は幾万 | 第14軍がマニラに向けて進撃する場面 |
12 | 潜水艦 伊-168 | 轟沈 | 潜水艦伊168が敵駆逐艦の追撃を逃れて、夜間に浮上航行する場面 |
14 | 加藤隼戦闘隊 | 加藤隼戦闘隊 | プロローグ |
クアラルンプール飛行場攻撃のためコタバル基地を出撃する場面 | |||
爆撃隊掩護のためイボー基地で出撃準備中の場面 | |||
「その頃、パレンバンの油田を無傷のまま占領することを目的とした日本陸軍最初の落下傘部隊が計画されていた」とナレーターが語る場面 | |||
カハン基地で加藤隊長が出撃前の訓示~パレンバン上空の戦闘~チェンマイに転進の場面 | |||
アギャブ航空撃滅戦の場面 | |||
エピローグ | |||
15 | ラバウル航空隊 | ラバウル海軍航空隊 | カミジョウ大尉がササガワを叱る場面 |
カミジョウ大尉と報道派員の会話~零戦を修理しているヤマグチ整備長との会話の場面 | |||
古賀少尉が戦闘第305飛行隊に転出した後の空中戦の場面(歌入り) | |||
カミジョウ大尉最後の出撃~古賀少尉との会話の場面 | |||
ラバウル小唄 | エピローグ | ||
17 | 特攻隊誕生 | 嗚呼神風特別攻撃隊 | 玉井副長が戦闘機搭乗員に特攻隊志願者を募る場面 |
若鷲の歌 | 関大尉が玉井副長に呼ばれた時に、下士官たちが歌っていた場面 | ||
嗚呼神風特別攻撃隊 | マバラカット基地で編成された特攻隊の一部がセブ基地に転出する場面~特攻隊の編成と名称を発表する場面 | ||
マバラカット基地から連日索敵を実施するも敵機動部隊を発見することができなかった場面 | |||
海ゆかば | 特攻隊出撃の実写映像が流れる場面 | ||
嗚呼神風特別攻撃隊 | エピローグ(特攻の実写映像が流れる場面) | ||
18 | 山本五十六の死 | ラバウル小唄 | ラバウルの海岸で山本長官と歩哨が散歩をしながら会話する場面 |
命を捨てて | エピローグ | ||
20 | マリアナ沖海戦 | 軍艦行進曲 | プロローグ(ナレーターが第3艦隊の陣容を説明する場面) |
上海の花売娘 | 攻撃前夜の会食で小沢長官が浪曲風に歌っていた(歌う場面はなく、声だけが流される) | ||
21 | レイテ沖海戦 (前編) | 軍艦行進曲 | 武蔵の塗装話の後、ナレーターが捷一号作戦について説明する場面 |
海ゆかば | エピローグ(武蔵沈没の場面) | ||
22 | レイテ沖海戦 (後編) | 軍艦行進曲 | プロローグ(ナレーターが捷一号作戦について説明する場面) |
23 | 硫黄島作戦 | 愛馬進軍歌 | プロローグ BGMはオリジナル音盤を使用していると思われる |
24 | 連合艦隊の最後 | 海ゆかば | エピローグ(大和沈没の場面) |
対空戦闘用意ラッパ
敵機を発見した時や攻撃された場面で何度か聴くことができる海軍ラッパ。
サブタイトル | 使用場面 | |
---|---|---|
2 | ミッドウェイ海戦(前編) | 長良が敵哨戒機を発見する場面 |
第2次攻撃隊の兵装転換中に敵爆撃機に攻撃される場面 | ||
3 | ミッドウェイ海戦(後編) | 飛龍の第3次攻撃隊発進直前に敵急降下爆撃機に攻撃される場面 |
8 | 珊瑚海海戦 | ツラギ島上陸船団が敵機に攻撃される場面 |
祥鳳が敵哨戒機を発見する場面 | ||
17 | 特攻隊誕生 | セブ基地で久納中尉が特攻出撃を準備中、敵機に攻撃される場面 |
20 | マリアナ沖海戦 | 大鳳が敵潜水艦の雷撃を受けた時の場面(対潜戦闘なのに、何故か対空戦闘ラッパが流された) |
21 | レイテ沖海戦(前編) | 武蔵が敵機を発見する場面 |
24 | 連合艦隊の最後 | 大和が敵哨戒機を発見する場面 |