君は「アニメンタリー決断」を知っているか

登場人物

鈴木貫太郎 [すずき かんたろう]

第25話「最後の決断」に内閣総理大臣として登場。
ポツダム宣言の受諾と天皇の聖断を仰いで戦争を終結に導いた。

<略歴>
1867年12月24日生~1948年4月17日没
大阪府出身
日本海軍軍人
海軍大将
海兵14期、海大1期
戦時内閣最後の首相として知られている。

1887年7月25日海軍兵学校卒業
1889年6月海軍少尉・砲艦「天城」分隊士
1889年9月巡洋艦「高雄」分隊士
1891年7月装甲艦「金剛」分隊士
1891年8月砲艦「鳥海」分隊長
1892年11月海軍大尉
1893年11月横須賀水雷艇隊艇長
1894年7月対馬水雷艇隊艇長
日清戦争に参加
1895年2月威海衛湾内突入戦に参加
1895年3月巡洋艦「海門」航海長
1896年4月巡洋艦「比叡」航海長
1896年12月巡洋艦「金剛」航海長
1897年3月海軍大学校将校科学生
1898年4月29日海軍大学校甲種学生
1898年6月海軍少佐
1898年12月19日海軍大学校卒業・軍令部第1局員
1899年2月軍務局軍事課員
1901年7月
~1904年2月
独国駐在
1903年9月海軍中佐
1904年2月装甲巡洋艦「春日」副長
日露戦争に参加
1904年8月10日黄海海戦に参加
1904年9月第5駆逐隊司令
1905年1月第4駆逐隊司令
1905年5月27日
~28日
日本海海戦に参加
露戦艦ナワリンとシソイウェリキーを撃沈
1905年11月海軍大学校教官
1907年9月海軍大佐
1908年9月1日巡洋艦「明石」艦長
1909年10月1日巡洋艦「宗谷」艦長
1910年7月水雷学校長
1911年12月1日戦艦「敷島」艦長
1912年9月12日巡洋戦艦「筑波」艦長
1913年5月海軍少将・舞鶴水雷隊司令官
1913年8月第2戦隊司令官
1913年11月舞鶴水雷隊司令官
1913年12月1日人事局長
1914年4月17日海軍次官
1916年2月21日兼軍務局長
1916年6月23日免兼軍務局長
1917年6月1日海軍中将
1917年9月1日練習艦隊司令官
1918年10月将官会議議員
1918年12月1日海軍兵学校長
1920年12月1日第2艦隊司令長官
1921年12月1日第3艦隊司令長官
1922年7月27日呉鎮守府司令長官
1923年8月3日海軍大将
1924年1月27日連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官
1924年12月軍事参議官
1925年4月15日軍令部長
1929年1月22日予備役編入・侍従長
1929年2月兼枢密顧問官
1936年2月26日二・二六事件
決起部隊に襲撃されて重傷を負う
1936年11月20日男爵・免兼侍従長
1937年12月24日退役
1940年6月枢密院副議長
1944年8月枢密院議長
1945年4月7日内閣総理大臣
1945年8月17日内閣総理大臣辞任
1945年12月
~1946年6月
枢密院議長
トップページ > 登場人物 >  鈴木貫太郎
ページの先頭へ