君は「アニメンタリー決断」を知っているか

登場人物

ダグラス・マッカーサー [Douglas Macarthur]

第11話「バターン・コレヒドール攻略」に米極東陸軍司令官として登場。
バターン半島に立てこもりフィリピン防衛戦を指揮する。

<略歴>
1880年1月26日生~1964年4月5日没
アーカンソー州出身
アメリカ陸軍軍人
陸軍元帥
戦後の日本を支配した将軍。

1903年6月陸軍士官学校を首席で卒業
1906年セオドア・ルーズベルト大統領副官
1917年4月第42レインボー師団長
第一次世界大戦に参加、戦傷を2回、准将に進級
1919年陸軍士官学校校長
1925年陸軍少将
1928年フィリピン米軍事顧問団長
1930年陸軍中将・陸軍参謀総長
1933年陸軍大将
1935年フィリピン陸軍元帥・フィリピン軍事顧問
1937年退役
1941年7月26日米陸軍に少将で復帰、米極東陸軍司令官
1931年7月27日陸軍中将
1941年12月陸軍大将・フィリピン防衛戦を指揮
1942年3月ルーズベルト大統領の命令で妻子を連れてコレヒドール島を脱出
1942年4月連合国南西太平洋方面司令官
ニューギニア方面の作戦を指揮
1944年10月フィリピン奪回作戦を指揮
1944年12月陸軍元帥
1945年8月連合国軍最高司令官兼米極東軍最高司令官
1945年9月27日米国大使館で天皇と会見
1948年米大統領選に共和党から出馬、予備選挙で敗北
1950年6月25日朝鮮戦争勃発
兼国連軍最高司令官として国連軍を指揮
1950年9月15日仁川上陸作戦決行
マッカーサー立案のこの作戦で敗北寸前の国連軍は息を吹き返す
国連軍は38度線を超えて北朝鮮領内へ侵攻、北朝鮮軍を敗北寸前まで追い詰める
1950年12月16日中国義勇軍が朝鮮戦争に介入、戦線が再び押し戻される
マッカーサーは中国に対する全面的な反撃を本国に要請するが、国連軍は中国国境を越えての軍事行動を禁止していたので却下される
1951年1月4日ソウルが再び北朝鮮軍に占領されたことを受けて本国では朝鮮半島放棄の検討をはじめていた
これを知ったマッカーサーは中国に対して沿岸封鎖・戦略爆撃・台湾の蒋介石軍投入などをトルーマン大統領に提案するが、これは中国との全面戦争を意味するものであるとし、この提案は却下される
1951年3月15日国連軍はソウルを奪回、再び38度線を越えて侵攻するかの議論が起きる
マッカーサーは朝鮮半島統一のために進撃するつもりでいたが、トルーマン大統領はこれ以上の戦線拡大はせず休戦に持ち込み、外交で解決すべきだと考えていた
1951年3月24日マッカーサーは「中国本土攻撃も辞さない」と恫喝的声明を発表
1951年4月11日トルーマン大統領はマッカーサーを解任
1951年4月16日帰国
1951年4月19日米国議会で「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉を残して表舞台から消える
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